ギヨーム・アポリネール 二十世紀芸術への第一歩を踏み出した詩人 1/2

ピカソ「アポリネールの肖像」

ギヨーム・アポリネールは、20世紀初頭の「エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)」を体現し、19世紀までの伝統を受け継いだ上で、20世紀芸術への扉を開いた最初の作家だといえる。

恋人であったマリー・ローランサンとの恋愛を歌った「ミラボー橋」は日本でもよく知られているが、彼の活動は詩だけではなく、小説や演劇、文学批評、美術評論など多様な分野に及んだ。
とりわけピカソを始めとするキュビスムの画家たちを理論的に支えたことは、アポリネール自身の作品にも反映し、19世紀芸術とは明確に異なる芸術観に基づく詩の創造へと繋がっていった。

その新しさを感じるためには、キュビスムの開始を告げるジョルジュ・ブラックの「グラン・ニュ(巨大な裸体)」とパブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見るといいだろう。
これらの絵画は、モデルとなった対象の再現を前提とした伝統的な絵画とは明らかに違う。モデルがあるにしても、それらを素材として使い、私たちの現実感とは異なる「新しい現実」とも呼べる独自の世界を作り出している。
アポリネールはこうした芸術を、ミメーシス(模倣)ではなく、ポイエシス(創造)と見なした。

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ロンサール 「もう骨だけで骸骨のようだ」 Pierre de Ronsard « Je n’ai plus que les os » 死の床で

16世紀を代表する詩人ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard : 1524-1585)は、亡くなる直前、死の床で数編の詩を口頭で語り、友人に書き取ってもらった。
「もう骨だけで骸骨のようだ(Je n’ai plus que les os, un squelette je semble)」はその中の一編。

詩人は、自分の体が骸骨のように痩せ衰えてしまった状態をリアルに描き、最後は友人たちにユーモアを持った別れを告げる。
フランスにおけるソネット形式の完成者であるロンサールらしく、ソネット形式に則り、リズムや音色においても完成度が高い。

ソネット形式の基本は3つの項目からなる。
1)2つの四行詩と2つの三行詩 (計14行)
2)韻の繋がり:四行詩は、abba-abba(抱擁韻)、3行詩は、ccd-ede(平韻+交差韻)、あるいはccd-eed(平韻+抱擁韻)
3)女性韻(無音のeで終わる)と男性韻の交代:この規則はロンサールが作ったもの。

「もう骨だけで骸骨のようだ」はこうしたソネット形式の規則にほぼ完全に適合しており、ロンサールが後世に残した遺言として読んでみたい。

Je n’ai plus que les os, un Squelette je semble,
Décharné, dénervé, démusclé, dépulpé,
Que le trait de la mort sans pardon a frappé,
Je n’ose voir mes bras que de peur je ne tremble.

Apollon et son fils, deux grands maîtres ensemble,
Ne me sauraient guérir, leur métier m’a trompé,
Adieu, plaisant soleil, mon œil est étoupé,
Mon corps s’en va descendre où tout se désassemble.

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ラ・フォンテーヌ 死の女神と死につつある男 La Fontaine « La Mort et le mourant » 2/2 心の平安を得るための教え

第1の教訓の最後に置かれているのは、人間には死に対する心の準備ができていないという指摘だった。としたら、続く物語は、心の準備を説くものになることが予想される。

その物語は、ロレンツォ・アステミオの寓話「死を遅らせようと望んだ老人」を語り直したものであることが知られている。
アステミオの寓話では、一人の老人が、死神に向かい、まだ遺言を書いていないし、その他の準備もできていないので、死を遅らせて欲しいと懇願する。それに対して、死神はこう応える。「もうすでに十分予告はしてきた。お前は、様々な人が死ぬ姿をたくさん見てきたはずだし、目や耳が衰え、体全体も弱ったのを感じているはずだ。それなのに予告がなかったと言うのか? さあ、もうこれ以上遅らせる必要はない。」
その物語の後ろに、「常に目の前に死を見ているように生きること」という教訓が付け加えられる。

ラ・フォンテーヌの寓話では、老人の姿がアステミオの老人よりもずっと具体的に描かれる。

Un mourant qui comptait plus de cent ans de vie,
Se plaignait à la Mort que précipitamment
Elle le contraignait de partir tout à l’heure,
           Sans qu’il eût fait son testament,
Sans l’avertir au moins. Est-il juste qu’on meure
Au pied levé ? dit-il : attendez quelque peu.
Ma femme ne veut pas que je parte sans elle ;
Il me reste à pourvoir un arrière-neveu ;
Souffrez qu’à mon logis j’ajoute encore une aile.
Que vous êtes pressante, ô Déesse cruelle ! (v. 20 – 29)

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ラ・フォンテーヌ 死の女神と死につつある男 La Fontaine « La Mort et le mourant » 1/2 死を前にした賢者

「死の女神と死につつある男(la Mort et le mourant)」は、寓話としてとても特殊な形をしている。
寓話は、一般的には、「物語」と「教訓」からなり、物語が語られた後、教訓が付け加えられる。
その構造によって、読者はまず物語を楽しみ、次に教訓によって人生の生き方やものの考え方を学ぶ。

その構造は、ラ・フォンテーヌが寓話を作成した17世紀フランスの芸術観、「楽しみながら学ぶ」という原則と適合している。

それに対して、「死の女神と死につつある男」は、最初と最後に教訓が置かれ、その間に物語が挿入される。しかも、2つの教訓と物語にほぼ同じ行数が費やされている。
こうした例外的な構造は、何を意味しているのだろう?

物語の中心になるのは、死につつある男(un mourant)。彼は百歳を超えているのだが、死に対して、まだ遺書も準備していないし、死ぬのは早すぎると文句を言う。それに対して、死は、もう十分に予告してきたので、すぐに死へと向かうように勧告する。

この展開は、イタリア・ルネサンス期の人文主義者、ロレンツォ・アステミオの寓話「死を遅らせようと望んだ老人」を基にして語られたもの。その物語の最後に、「常に目の前に死を見ているように生きること」という簡潔な教訓が付けられていた。

その教訓に対して、60行の詩句からなる「死の女神と死につつある男」では、第1の教訓は19行、第2の教訓は10行ある。その結果、寓話全体がかなり理屈っぽいと感じられるものになっている。

その理由を探ることで、「死の女神と死につつある男」の独自性を明らかにするだけではなく、ラ・フォンテーヌの死生観をよりよく理解できるに違いない。

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アルチュール・ランボー 新発見の写真?  une photo d’Arthur rimbaud à Vienne 1873 ?

これまで見つかっていなかったランボーの写真が発見されたかもしれない。そんなニュースが2024年4月4日付けの” BeauxArts”のHPに掲載されている。その写真がこちら。

写真が撮影されたのは、1873年のウィーン。当時ランボーがウィーンに行ったという記録はなく、真偽のほどは慎重に検討中だという。
https://www.beauxarts.com/grand-format/cette-mysterieuse-photographie-represente-t-elle-arthur-rimbaud-en-1876-a-vienne/

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Sidonie au Japon 日本を舞台にしたフランス映画 イザベル・ユペール主演

2024年公開予定の Sidonie au Japon。題名の通り、日本を舞台にしたフランス映画らしい。横浜フランス映画祭のHPでは、次のように紹介されている。

小説デビュー作が日本で再出版されることになったフランス人女性作家シドニーが日本の出版社の招きで来日する。編集者・溝口のアテンドで京都や奈良をめぐり、記者会見や読者との交流会に参加するシドニーは、次第に溝口の人柄に魅かれてゆく。だが、シドニーは心の中では交通事故で亡くなった夫アントワーヌの影を振り払うことができない……。美しい京都、奈良、直島の風景の中で描かれるラブストーリー。(https://unifrance.jp/festival/2024/films/1880/

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ラ・フォンテーヌ 「死と不幸な人」と「死と木こり」 La Fontaine « La Mort et le malheureux »  « La Mort et le bûcheron » 死とどのように向き合うのか 3/3

ラ・フォンテーヌにとって、イソップの寓話「老人と死神」の物語とほぼ同じ展開を持つ「死と木こり(La Mort et le bûcheron)」は「イソップの寓話(fable d’Esope)」だが、「死と不幸な男(La Mort et le malheureux)」は「私の寓話(ma fable)」だという。
そして、「私の寓話」の価値は、教訓の中で引用されているマエケナスの言葉にあり、それは美しく、主題にふさわしいもの(à propos)だと付け加える。

もし寓話の”肉体”が”物語”部分であり、”教訓”は寓話の”魂”だとすると、マエケナスの引用は、「死と不幸な男」の魂。その魂を包み込む肉体が魂にふさわしいものであれば、物語も主題を的確に表現し、美しいことになる。
実際、10行の詩句で構成される物語部分は、非常に多様な仕掛けが施され、読者を楽しませると同時に、教訓への導きとしての役割をしっかりと果たしている。

    Un malheureux appelait tous les jours
              La Mort à son secours;
« Ô Mort, lui disait-il, que tu me sembles belle !
Viens vite, viens finir ma fortune cruelle. »
La Mort crut en venant, l’obliger en effet.
Elle frappe à sa porte, elle entre, elle se montre.
« Que vois-je ! cria-t-il, ôtez-moi cet objet ;
         Qu’il est hideux ! que sa rencontre
         Me cause d’horreur et d’effroi !
N’approche pas, ô Mort ; ô Mort, retire-toi. »

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ラ・フォンテーヌ 「死と不幸な人」と「死と木こり」 La Fontaine « La Mort et le malheureux »  « La Mort et le bûcheron » 死とどのように向き合うのか 2/3

「死と木こり」(La Mort et le Bûcheron)は、題名も含め、イソップの「老人と死神」を土台としていることがはっきりとわかる語り方をされている。

Un pauvre bûcheron, tout couvert de ramée,
Sous le faix du fagot aussi bien que des ans
Gémissant et courbé, marchait à pas pesants,
Et tâchait de gagner sa chaumine enfumée.
Enfin, n’en pouvant plus d’effort et de douleur,
Il met bas son fagot, il songe à son malheur.
Quel plaisir a-t-il eu depuis qu’il est au monde ?
En est-il un plus pauvre en la machine ronde ?

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ラ・フォンテーヌ 「死と不幸な人」と「死と木こり」 La Fontaine « La Mort et le malheureux »  « La Mort et le bûcheron » 死とどのように向き合うのか 1/3

 フランス語では人間のことをmortel(死すべき者)といい、死なない存在である神をimmortal(不死のもの)という。その言葉が示すように、人間は必ず死ぬ。人間は生まれた時から死に向かって進んでいくのであり、生きることは死への行進だと言ったりすることもある。

それにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、私たちは死を恐れ、死を避けようとする。長寿を祝い、現代であれば、科学の力によって老化を防ぎ、極端な場合には、あるアメリカ人のように不死になることを試みようとする。災害で多くの人命が失われれば、悲しみ涙を流す。
死は何としても避けるべきもの。そうした認識はごく普通のことだ。

ただし、安楽死に対しては、意見が分かれるかもしれない。一方には、終末期の苦痛を和らげるためであれば、死を早めることは認められるという意見がある。他方には、生きることに手をつくすべきであり、死を助けることは殺人になると考える人々もいる。
論理的にどちらが正しいということはないのだが、世界で死の幇助が認められている国は現状では10未満であり、死に手を貸すことは違法という認識が大多数を占めているといっていいだろう。

ヨーロッパにおける死に対する思想を歴史的に振り返ると、大きくわけで3つの考えを指摘することができる。16世紀の思想家、ミッシェル・ド・モンテーニュは『エセー』第二巻三十七章「子供が父親に似ることについて」と題された章の中で、その3つを次のような言葉で説明した。

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 7/7 四次元の現実

「ゾーン」第121-134行の詩節では、サン・ラザール駅や、ロジエ通り、エクフ通りという、パリに実在する建物や地名に言及され、アポリネールにとって身近な現実に基づき、さまよえるユダヤ人を思わせる移民たちについて語られていく。

アポリネールもローマ生まれの外国人であり、フランス国籍を取得したのは、1916年になってからだった。そのためもあり、1911年にモナリザ盗難事件に巻き込まれた際には、激しい差別的な攻撃を受けた。そのことは、アポリネールに、自らも移民者(émigrant)であることを強く感じさせたことだろう。

Tu regardes les yeux pleins de larmes ces pauvres émigrants
Ils croient en Dieu ils prient les femmes allaitent des enfants
Ils emplissent de leur odeur le hall de la gare Saint-Lazare
Ils ont foi dans leur étoile comme les rois-mages
Ils espèrent gagner de l’argent dans l’Argentine
Et revenir dans leur pays après avoir fait fortune
Une famille transporte un édredon rouge comme vous transportez votre cœur
Cet édredon et nos rêves sont aussi irréels
Quelques-uns de ces émigrants restent ici et se logent
Rue des Rosiers ou rue des Écouffes dans des bouges
Je les ai vus souvent le soir ils prennent l’air dans la rue
Et se déplacent rarement comme les pièces aux échecs
Il y a surtout des Juifs leurs femmes portent perruque
Elles restent assises exsangues au fond des boutiques (v. 121-134)

(朗読は8分52秒から)
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